
東叡山寛永寺清水観音堂は、寛永8年(1631)に、天台宗東叡山寛永寺の開山、慈眼大師天海大僧正によって創建された。寛永2年(1625)、二代将軍徳川秀忠から寄進されていた上野忍が岡に、天海大僧正は平安京と比叡山延暦寺との関係に倣って「東叡山寛永寺」を開いた。それは同時に、比叡山が京都御所の鬼門を守護し、王城の鎮護を担うと伝えられるのに倣い、江戸城の鬼門の守護をも意味していた。そして比叡山や京都の有名寺院になぞらえた堂舎を次々と建立し、清水観音堂が建てられた。本堂内には、京都清水寺から遷座された秘仏本尊・千手観世音菩薩が安置され、年に一度、2月の午の日に御開帳となる。また、清水観音堂の人形供養は有名で、毎年家庭で使い古された人形や奉納された人形を荼毘に付して供養する「人形供養」が行われる。
◇昭和新撰「三十三観音霊場」 第6番札所(5番大安楽寺、7番心城院)
| 住所 | 〒110-0007 東京都台東区上野公園1−29 |
| 電話 | 03-3821-4749 |
| FAX | |
| アクセス |
JR山手線、京浜東北線、東京メトロ銀座線、日比谷線、京成電鉄・上野駅より徒歩5分。
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■清水堂(本堂)はじめ摺鉢山に建てられていたが、元禄初期、寛永寺総本堂の根本中堂建設が決まると、その工事に伴って、元禄7年(1694)に現在地に移築された。上野の山に現存する創建年次の明確な最古の建造物である。その後、幾多の災厄を耐え抜き、昭和21年には国の重要文化財に指定された。 |
■人形供養碑本堂に安置されている子育観音は、子宝に恵まれない人々が信仰すると願いが叶うと言い伝えられている。そして子供が授かると丈夫に育つようにと人形を奉納する。その奉納された人形を秋の彼岸の終わりに、ここに集めて読経のうえ荼毘に付す。それらの人形を回向し供養するためにこの碑が建てられた。 |
■単層入母屋舞台造り清水観音堂は「清水の舞台」で知られる京都清水寺の義乗院春海上人から、同寺安置の千手観世音菩薩が、天海大僧正に奉納されたことに因み、清水寺と同じ舞台造りで建てられた。舞台から望む不忍池や、特に満開の頃の桜の眺めは圧巻で、歌川広重の「名所江戸百景」のひとつになっている。 |
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人形供養清水観音堂の人形供養は、元来、本堂右壇に安置されている子育て観音に「子授け」「安産」「子育」を祈願した人々が心願成就のお礼として子どもの身代わりを奉納し御供養したことに始まる。今日では心の安らぎを得たり愛情を注いできた人形を報恩供養するようにもなった。◆受付 毎日午前9時〜午後4時 (正月三が日・お花見などの混雑時はお避け下さい) ◆供養志納金の目安 小〜中型のお人形 1体3千円以上 ◆人形供養大法要 毎年9月25日 【 秘仏ご本尊の縁起 】 京都清水寺から遷座された秘仏本尊・千手観世音菩薩は、長門本『平家物語』の「盛久受難の身代わり観音」としても知られる。 壇ノ浦の合戦後、鎌倉側の手に捕らえられた主馬判官盛久は首を斬られることとなった。ところが、盛久の頸めがけて振り下ろされた刀は折れ砕け、また北条政子の夢にも清水寺の高僧が現れて盛久の赦免を願ったため、盛久は打ち首を免れた。 その後、盛久は清水寺に参詣すると、同寺に奉納した自分の護持仏・千手観世音菩薩像が打ち首のその時に倒れ、腕が損傷した由を聞き、その奇瑞と霊験のあらたかさに感涙にむせんだという物語である。そしてこの奇瑞が、ちょうど午の歳、午の日、午後の刻に起きたことが、当堂の初午参りの縁日と、年に一度の秘仏ご本尊ご開帳の縁起となっている。 秘仏ご本尊は、平安時代の比叡山の高僧・恵心僧都(えしんそうず)の作と伝えられ、大悲観音ともいわれる姿は、合計42本の手があり、小さな手の一本が二十五有(25種に分類されるあらゆる世界)の生きとし生けるものすべてに、慈悲の手をさしのべる姿を表している。 |
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